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12月25日  神様からのプレゼント  ヨハネ 3章16節  

皆さんは十字架にどのようなイメージを持っておられますか。
 かつて、十字架はこの世で最も苦しい死刑の方法であり、人間にとって忌み嫌われるもの、また、呪いのしるしでした。しかし、今から約2000年前、イエス・キリストが十字架で死なれてから、呪いのしるしであった十字架が救いのしるしに変えられました。なぜでしょうか。それはイエス様が十字架の上で人間の罪の身代わりに死んで下さったからなのです。
 イエス様の十字架は神様からのプレゼントです。そのプレゼントを受け取る者は永遠の裁きから救われ、永遠の天国へ行く者へと変えられます。神様からのプレゼントを感謝して受け取りましょう。

 

12月18日  イエス様の降誕  ルカの福音書2章1節〜20節 

 ルカの福音書の著者ルカの職業は医者でした。彼は当時起こった出来事の時期や場所・内容を正確に記録しました。聖書の記事が歴史的事実である事は、聖書以外の文献からも確認することができます。
 当時、結婚する前に身重(妊娠)になることは重大な罪でした。そのような場合、2人は結婚することはできませんでした。しかし、ヨセフは神様の言葉を信じ、マリヤを去らせることなく、いっしょにベツレヘムの町へ連れて行きました。その結果、イエス様の誕生という素晴らしい出来事が起こったのです。
 「信仰とは、神様の言葉を信頼すること」 それだけなのです。

 

12月11日  新約聖書のマニフェスト  ローマ人への手紙1章から   

新約聖書の一番はじめに位置するこの書簡は、かつてルターが『新約聖書のマニフェスト』というほど重要な位置を占めています。この当時のローマは現代の私達と同じように神様を無視し、自分勝手に歩んでいました。そこでパウロはなんとしても神様に立ち返って欲しいと祈りつつ手紙を書きました。
 紀元後55年に書かれたローマの人達の現状と現代の私達の状態が同じであることは本当に悲しいことです。神様は聖書を通して今も私達に語りかけていることをおぼえましょう。

 

12月5日  ナルドの壺  マルコ14章3節〜9節  

 人間の愛の中で一番強い愛は自分の子供に対する親の愛ですが、その愛には理由があります。神様の愛はさらに優れていて、無条件の愛です。
 すべての人間は罪を持っていますが、人間には自分の罪を自分ではどうすることもできません。大切なことは、自分が罪人であることを認めること。そして、その罪のためにイエス様が十字架に架かってくれたことを信じることです。
 十字架は神様の愛ゆえの行動です。神様は愛される価値のない、ただの罪人である私たちを無条件の愛で愛し、その愛のゆえに十字架上で私たちの身代わりの死を遂げてくれたのです。

 

 


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11月27日  社会の矛盾の解決   マタイ3:24〜 

 この地上の社会は良いものと悪いものの判断のつかない状態です。つまり多くは悪の中で生きているのです。
 聖書は世界を2つの人種に分けています。それは、御国の子そして悪者の子です。前者は死んで後、天国へとうつされますが、後者は死んで後ハデスへと下ります。
 私たちはそれぞれの立場の中で生きているのですが、最終的には神様がどちらかにわけられます。つまり信仰をもっているのか、そうでないのかが判断基準とされます。大事なことは今ではなく永遠です。

 

11月20日  愚かな金持ちの例え  ルカ12章15節〜21節  

 私たちの体は、私たち自身のものではなく、神様からの一時的な借り物なのです。私たちは神様から借りたこの体を使って、神様の栄光を表すために生きています。私たちは神様によって生かされているのであって、今の豊かさは神様の恵みによるのです。借りているものはいつか返さなければなりません。そして、その時は突然やって来ます。そうなってもあわてることのないよう、備えることが大切です。
 神は彼に言われた。「愚か者、おまえのたましいは今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」自分のために蓄えても、神の前に富まない者はこのとおりです。 

 

11月13日  聖書の中の聖書   ヨハネ3章16節より  

聖書の中には、私たちが人生のどん底にある時にも、励ましを与える言葉があります。また聖書の中には、私たちの未来のことが書かれています。また聖書は、私たちの命について教えてくれます。 
私たちにとって真の心の慰め・励ましとなるのは、聖書のみことばによるのです。


 神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世(あなた)を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びる(神様から永遠に離れる)ことなく永遠の命を持つ(永遠に神様と同じ場所にいる)ためである。

 

11月6日  イエス・キリスト −聖書の中心−   

 神ご自身が人となられた。我々が神を心に思い浮かべようとする時、どんな人格を考えればよいかを、具体的に決定的に手で触れることのできる形で人類に示された。イエスは人の形を取られた神であった。
イエスが地上に現れたことは全歴史の中心的出来事である。旧約聖書はそのために舞台を作り、新約聖書はそれを描写している。聖書の全体はこのキリストについての物語とキリストを受け入れる者に与えられる永遠の命の約束によって構成されている。聖書が書かれたのは、ただ人間がキリストを信じ、救われ、永遠の命を得るためである。
 聖書の中心であるキリスト、歴史の中心であるキリスト、また、私たちの生活の中心でもあるキリスト。永遠の運命はキリストの手の中にある。我々がこの方を受け入れるか、拒むかが、永遠の栄光か永遠の滅亡、また天国か地獄に定めるのである。すべての人に要請されている最も重要な決断は、心の底から、キリストに対する態度をきっぱりと決定することである。一切のことがこのことにかかっている。
 キリスト者であることは光栄であり、人類に与えられる最も尊い特権である。キリストを救い主として受け入れ、真剣に歩むことは、確かに優れた、最も合理的で十分な生きる道である。それは平和・魂の満足・赦し・幸福・希望・終わりなきいのち これらすべてを満たすものである。
 キリスト者の希望を持たずに人生を送り、死に直面するほど、人は盲目であってよいのであろうか。キリストから離れて、現世・死後の永遠を価値あるものとするものが、他に何かあるであろうか。我々はみな死ななければならない。どうして笑い飛ばしてしまおうとするのか。両手を広げてキリストを喜び迎え、キリスト者と呼ばれることを一生のうちで最も誇るべき特権と考えることは、すべての人間にとってふさわしいことではないだろうか。  ヘンリー・H・ハーレイ

 


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10月23日  永遠の選択     

 私たちは生きている間、色々な間違いをしますが、この世の限定された時間の中で犯した間違いは、たいしたことはありません。なぜなら、この世の出来事にはいつか終わりがあるからです。しかし、死後の永遠をどこで過ごすか、このことに関しての選択を間違ってはいけません。極端な言い方ですが、右目をえぐり出してでも、右腕を失ってでも、地獄で永遠に裁かれるよりはましなのです。
 
 もし、右の目があなたをつまづかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。もし、右の手があなたをつまづかせるなら、切って捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナ(永遠の裁きの場所)に投げ込まれるよりは、よいからです。マタイ5:29.30

 

10月16日  喜びのための苦難  詩篇22編    

 私たちは人生において様々な苦難を経験しますが、その苦難の原因は自分にある場合が多いのではないでしょうか?
 聖書を見ると、一見何の理由もなく苦難を受ける人々(信仰者)が登場します。さらに聖書をよく読むと信仰者が苦難を受けた後、さらに確たる信仰を持つ者とされていることが判ります。私たちが受ける苦難には無意味なものが無いということです。
 しかし、世界でただ一人、苦難を受ける必要が一切無いにもかかわらず苦難を受けた方がいます。イエス様です。自分に原因があるわけでもなく、信仰が強められる必要も無い方が、愛する父なる神様と完全に分断されました。十字架の上で一人の罪人として裁かれることは、イエス様にとってこの上ない苦しみです。なぜ苦しまれたのでしょうか。それはイエス様御自身のためではなく、私たち一人一人のためなのです。
 私たちは、イエス様が十字架の上で受けられた苦しみの意味を理解し、さらに感謝を持って歩んでいくべきではないでしょうか。

 

10月9日  二人の犯罪人  

 イエス様と共に二人の犯罪人が十字架に掛けられました。犯罪人の一人はイエス様に「あなたはキリストではないか自分と私たちを救え」と言いました。ところが、もう一人は自分の罪を認めた後「イエス様、あなたの御国の位にお着きになる時には私を思い出してください」と言いました。
 二人の違いは何でしょうか。それはイエス様を信じたか信じなかったか、ただそれだけです。わずかな違いかもしれませんが、結果は全く違ったものになります。それによって死後の永遠が地獄か天国かが決まってしまうのですから・・・。
 イエスは彼に言われた。「あなたはきょう、私と共にパラダイスにいます。」

 

10月2日  心が満たされる為に   

 自分に敵対する者を憎んだり、仕返しをして、心が満たされることは決してありません。人を憎むより、むしろ、その人を愛し、受け入れることの方がずっと優れています。
 イエス様は、自分の敵を愛し、いのちを捨てられました。憎しみの中で生きるのではなく、愛の中に生きられました。
 私たちの心が満たされる為に、このように生きられたイエス様を知ることから始めましょう。
 私は、あなたがたに言います。「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には、左の頬も向けなさい。」   マタイ5:39

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9月25日  神様の恵み ピリピ人への手紙 3章1節から  

 私たちは神様からの恵みでもってとりあつかわれています。律法とは守れば祝福、守らなければ呪いですが恵みは与えられたものをただうけるだけで大丈夫です。
 その与えられた恵みはとても素晴らしいもので、この恵みに勝るものはこの世にはありません。そして私たちはキリストの中にあるもの(同じもの)として見られています。このことをもう一度おぼえましょう。

 

9月18日  ヨナ書から  

 ヨナは神様から与えられたひょうたんを非常に喜びました。しかし一日でそれが枯れてしまうと途端に神様に対して文句を言い出しました。
 私たちも彼と同じように「目に見えるから満たされている」や「自分の周りにあるものは全て自分で手に入れた」と思っていませんでしょうか?それらは全て神様から出たものであり神様がどのようにするか決定されていることをおぼえましょう。パウロは「喜びなさい」とピリピ人への手紙で言っています。なぜ命令形なのでしょうか?それは喜びも神様からくるものであって自分の力で得たものではないからです。もう一度恵みに感謝しましょう!

 

9月11日  恵みと平安  ピリピ1:1〜           


 どうか私たちの父なる神と主イエスキリストから 恵みと平安 があなた方の上にありますように
 この箇所には@恵み・A平安という言葉が出てきますが、この順番にはとても重要な意味があります。なぜなら、恵みなしには真の平安はあり得ないからです。
 何の働きもない私たちの為に、イエス様はこの世に来られ、私たちの罪の身代わりとして、十字架の裁きを受けてくださいました。これが神様の恵みなのです。
 神様の恵みは、一方的に与えられたもので、私たちから取り去られることは決してありません。だから、私たちにはいつも平安があるのです。

 

9月5日  良きサマリヤ人  ルカ10:25〜            

 聖書の中には、多くの罪人が登場しますが、自分には関係ないと思っていませんか。自分も同じ罪人だということに気付くことが大切です。
 自分の身近で問題が起こった時、自分には関係ない、関わりたくない、面倒に巻き込まれたくないと、避けて通っていませんか。もしそうなら、あなたは、この箇所に登場する祭司・レビ人と同じではないでしょうか。
 また、すべての人は、この箇所に登場する旅人と同じように、自分の力ではどうしようもない、今すぐにでも助けが必要な状態にあります。
 神様はそんな私たちをいつでも助けようと手を差しのべておられます。良きサマリヤ人のよう

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8月28日  正しい選択  創世記 1章1節 

 日本人が神と聞くと「神々」と連想します。
これは聖書に支配されたことのない日本の体制・文化や神に変わる天皇制を貫いて来た由来によるものが大変大きな理由であります。
 それでは日本人強いては人間の起源に付いて考えて見ましょう。聖書は、はじめの人間は創造主がつくったアダムとエバであると教えています。私たちの存在は肉体と霊であるとも聖書は教えています。この事実を正しいこととして選択することはとても重要なことです。
 みなさんも真実に基づいた正しい選択をしましょう。

 

8月21日  神様の愛  −ヨブ記 1章より−             

 人は試練にあった時、「神様はどこにいるんだろうか」「神様は私のことなど愛していないんじゃないだろうか」と不平を言います。
 私たちの命・生かされていること・仕事やお金など私たちが生きていく上で必要なものすべて、これらは神様の愛と恵みによって与えられています。また、私たちの弱さも、みにくさもすべて知った上で、神様は私たちのことをいつも愛しておられます。ただ、そのことに私たちが気付いていないだけなのです。
 ヨブは試練の中でも、神様の愛と恵みを見いだしました。皆さんも、いつも注がれている神様の愛に気付いてください。そうすれば、きっと喜びのある人生を歩むことができるでしょう。
 ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。

 

8月14日  キリストの証人 −使徒の働き1・2章より−          

 聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、私の証人となります。
 証人とは、自分の見たこと・聞いたこと・知っていることを人々に語り伝える人のことです。新約聖書は、キリストの証人である弟子たちが、事実に基づいて記録した書物であり、当時の様子やイエス様のことばを、正確に現代の私たちにも伝えています。ですから、私たちは聖書を通して、当時の人々と同じように、イエス様を信じる信仰を持つことができるのです。
 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

 

8月7日  私たちの隣人 −よきサマリヤ人の例えより−           

永遠の命を得るためには、@神を愛すること A隣人を愛すること と律法で定められています。しかし、人は罪人なのでそれを完全に実行することはできません。自分の努力によっては、誰も天国に入ることはできないのです。
 この例えに登場するよきサマリヤ人はイエス様のことを表しています。また、半殺しになった人は私たちのことを表しています。イエス様は私たちを愛し、その愛の故に、身代わりとなり十字架上で死んでくださいました。イエス様は、私たちの真の隣人となってくださったのです。
 「この三人の中でだれが強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
 「その人に哀れみをかけてやった人です。」  ルカ10:36-37

 


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7月31日  最高の幸せ     

 私たちにとって最高の幸せとは、私たちの創造主である神様とともにいることです。天国はまさにそのような場所であり、そこには死も、悲しみも、苦しみもなく、喜びが満ちあふれています。
 神様は、私たちのために最高の場所を用意してくださっているのです。
「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」  黙示録 21:3.4

 

7月24日  三人の若者          

 第二バビロン帝国のネブカデネザル王は、金の像を造り、全国民にそれを拝むことを強制しました。また「それを守らない者は燃える火の炉の中に投げ込まれる。」 と宣言しました。しかし、シャデラク・メシャク・アベデネゴは王の命令に背き、金の像を拝むことをしませんでした。彼らは、命をかけて偶像崇拝することを拒否したのです。
 
 私たちの仕える神は火の燃える炉の中から私たちを救い出すことができます。王よ、神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。ダニエル3:17.18

 

7月17日  罪の基準            

 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないのゆえに、価なしに義と認められるのです。                    (ローマ3章23、24節)
 世の中の基準には絶対的基準と相対的基準があります。
私達にとって絶対的基準である聖書には律法によって罪の
基準が記されてあり、人間は何一つ守りきることはできません。
 私達はただ神の恵みのみによってだけ、罪から開放されるのです。

 

7月10日  兵士たちのあざけり  マタイの福音書27章29節〜 


 それから総督の兵士たちは、イエスの着物を脱がせて、緋色の着物を着せた。それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、イエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王様、ばんざい。」 また、彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
 
 イエス様は、ご自分が生かし、その命を保っている人間たちによって、このようなひどい侮辱を受け、あざけられ、苦しめられました。
 しかし、イエス様は、それらをじっと耐え忍び、実に十字架の死まで受け入れられたのです。私たちの救いを完成するために・・・。

 

7月3日  変わらない父の愛   ルカの福音書15章より    

 父の元を離れ、自分勝手な行動をしている息子は、人間の姿を表しています。イエス様を信じる前の私たちは、この放蕩息子と同じように神様から離れ、罪の中に死んでいる状態でした。このままで、死を迎えるなら裁かれても当然の者でした。そんな私たちを神様はいつも見守り、愛し続けてくださいました。私たちがすべき事は、神様の元へ帰ることだけであり、あとはすべて、神様が良くしてくださるのです。神様は、私たちが帰るのをずっと待ち続けておられます。
神は私たちを愛してくださった大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストともに生かし、あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。 エペソ 2:4

 


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6月26日  本当の幸せ     詩篇32編より        

幸いなことよ、そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は
幸いなことよ、主が咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は

 人間の本当の幸せは、どこからやって来るのでしょうか。
 聖書は人間の幸せの第1の条件は、罪赦されることであると述べています。罪赦されるために私たちは何をすればよいのでしょうか。何もする必要はありません。ただ、イエス・キリストが自分の罪のために十字架で死なれたことを信じるだけでよいのです。
 罪赦された者は、悩みや苦しみが無くなるという訳ではありませんが、「神様がよしとされるのならよしである。」と理解することができるようになります。主に信頼する者(イエス様を信じる者)には、恵みがその人を取り囲む(10節)のです。

 

6月19日  放蕩息子の兄    ルカの福音書15章より     


 この例えに登場する兄は、当時の宗教家だけでなく、全ての人のことを表しています。兄は「自分は弟のように罪を犯していない。弟よりも優れた人間だ。」と考えていました。兄は神様と自分ではなく、弟と自分を比較することで、自分は正しい者だと主張しました。
 父はそんな兄のことを弟と同じように愛し、弟が気付いたように兄にも自分の罪深さに気付いてほしいと願っていました。
 神様は私たちが自分の罪深さに気付いて神様の元に戻るように願っておられます。神様はいつも私たちのことを愛しておられ、悔い改めた私たちをそのままの姿で受け入れてくださいます。これが、神様の愛と恵みなのです。

 

6月12日  三位一体の神    ヨハネの福音書1章より    

初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。(1節)
                
聖書の中に三位一体という言葉は出てきません。
人間の限られた知識では神様のご性質を正確に理解する
ことは不可能です。しかし、聖書の記事を見ると神様には
父・子・聖霊という)3つの人格があることがわかります。
エス様は神が人となられた方なのです。
ことばは、人となって私たちの間に住まわれた。(14節)

 

6月5日  義人はいない一人もいない ローマ3:15〜  

『儒教では「性善説(人間は生まれながらに善の性質を持つ)」と「性悪説(人間は生まれながらに悪の性質を持つ)」の二つの対極的な思想が存在します。
聖書は人間に対し「義人はいない、一人もいない」と宣言しています。
インターネットでの匿名の発言の悪質さや子供が誰に教えられるでもなく嘘をついたりする点から見ても明らかに人間の本質が悪であることが明白です。
聖書は人の全ての罪を裁く主がおられる、と述べてます。しかし主は裁くであるのと同時に愛なる方であり、私たちに救いの手段を用意して下さる方です。
もしも、まだ主の救いを受け入れていない方がいらっしゃるなら、一日も早く主の福音を受け入れ、天国に行ける者となられることをお薦めします。』

 


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5月29日  宇宙の法則    

 もし、地球を直径1mの球体だとしたら、太陽は地球から約12km離れた位置にあり、大きさは東京ドーム位の大きさになります。
 また、月は地球から約30m離れた位置を回っており、直径約30cmのビーチボール位の大きさになります。
 宇宙には(神様が造られた)法則が存在します。科学とはその法則を見つけることなのです。
 神は北を虚空に張り、地(球)を何もない上に掛けられる。神は、水の面に円を描いて、光とやみとの境にされた。 ヨブ記 26:7〜10

 

5月22日  あなたの目は見えていますか      

あなたは「自分がどこから来て、これからどこへ行くのか」が見えていますか。また、「自分にとって本当に必要なものは何なのか」を正しく理解しておられますか。
 イエス様は、自分自身のことさえよく見えていない盲人のような私たちを正しく導き、全ての人にとって本当に必要なもの(永遠の救い)を与えて下さる方なのです。
 イエスは盲人に言われた。「私に何をしてほしいのか。」 盲人は言った。「目が見えるようになることです。」 するとイエスは彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」  マルコ10:51〜 

 

5月15日  神様は存在するのか   

 1977年 NASAのジェット推進研究所によって惑星探査機ボイジャー2号が打ち上げられました。ボイジャー2号は12年間で木星・土星・天王星・海王星に次々と接近し、地球に貴重なデータを送信してきました。このようなことができたのは4つの惑星の位置の組み合わせが絶妙だったためで、コンピュータの計算によると、このようなチャンスは189年に1度しかありません。
 なぜこのようなことが可能だったのでしょうか。それは、惑星が秩序に従って、その通りの動きをしているからです。秩序は偶然にできることはありません。秩序ある所には、必ず創造者が存在するのです。
 主よあなたの御業はなんと多いことでしょう。あなたはそれらをみな知恵を持って造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。詩篇104:24

 

5月8日  本当の喜び  

 あなたは本当の喜びを持っていますか。本当の喜びとは決して消えない喜びです。お金や努力によって得る喜びはいつかなくなりますから、本当の喜びとはいえません。
 
 ああ乾いている者はみな水を求めて出て来い。金のない者もさあ、穀物を買って食べよ さあ、金を払わないで穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え イザヤ55:1


 ここには、この世の一般常識とは違う、神様の恵みの原則が記されています。神様の恵みは、お金や努力によって得るものではないので、決して消えることはありません。

 

5月1日  放蕩息子 −神様は存在するのか− ルカ15:11〜 

 クリスチャンは神様を信じていますが、クリスチャンでない人もそれぞれ異なった神話 (お金・健康・ヒュ−マニズムなど) を信じています。
 放蕩息子は、お金さえあれば自分は何でもできるという お金神話 を信じていました。次に父から自由になれば何でもできるという 自由神話 を信じていました。しかし、その神話はもろくも崩れ去り、彼は一文無しとなり、人生最悪の事態となってしまいました。
 しかし、父は、そんな息子が悔い改めの言葉を言い出す前に、彼を抱き、受け入れたのです。ここに、神様の愛が示されています。

 


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4月24日 神様の存在 ローマ人への手紙1:16〜

私は福音を恥とは思いません。福音はユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じる全ての人にとって救いを得させる神の力です。ローマ1:16
 ローマ人の手紙は、クリスチャンは何をどう信じているのか。信じた者はどうなるのかを明確に私たちに教えてくれています。
 神の目に見えない本姓、すなわち神の永遠の力と神性は世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。ローマ1:20
 天と地を造られた神様は、私たちの目には見えない方です。目に見えるものには限りがありますが、目に見えない神様は限りがなく、永遠に存在し、変わらない方なのです。

 

4月17日  聖書の語る罪とは? 

 1.神への反逆 2.たましいの汚れ 3.奴隷状態 4.死に至る病です。
 罪を木に例えるなら目に見えない根っこの部分に罪があり、そこから生える幹や葉など目に見えるものが盗みや殺人、嘘や争いなどです。
 罪は死に至り、そのあと人間は裁きをうけますが、罪のゆるしを神様は示して下さいました。
聖書の語る罪のゆるしとは?
 1.受け入れる 2.忘れる 3.覆う の三つが集約されています。
 神様が人間を愛するが故にイエス様の十字架の死と復活が福音として私たちに与えられていることは本当に感謝です。

 

4月10日  復 活  マタイ 28:1〜  深井師

 恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを探しているのを私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたようによみがえられたからです。
 イエス様が復活されたことは、とても重要です。それは神様にしかできないことだからです。世界の多くの国々が日曜日は休みの日になっていますが日曜日が休みになったのは、イエス様の復活が週の初めの日(日曜日)であり、それを目撃した当時の弟子たちが集まり、感謝して礼拝を始めたからなのです。

 

4月3日  放蕩息子の例え  ルカ 15:11〜25 

父の財産を分けてもらった弟息子は、自分の欲望の赴くまま、快楽を求め続けました。その結果、財産を食いつぶし、無一文になって父の元に返って来ました。そんな彼を父は無条件で赦し、受け入れました。父は息子のことをかたときも忘れることなく、ずっと愛し続けていたからです。
 ここで登場する息子は私たち自身のことです。父は神様のことです。神様の元を離れ自分勝手なことばかりしている私たちを、神様はいつも愛し続けておられます。人間がそのことに気付いていないだけなのです。

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3月27日  天 国  ヨハネ 14:1〜6  深井師

 世界には、多くの書物が存在しますが、人間が本当に天国に行けるということを約束しているのは、聖書だけであります。
 天国は、クリスチャンにとって最大の希望であり、心の支えなのです。
 
 わたしの父の家には住まいがたくさんあります。あなたがたのために、私は場所を供えに行くのです。 
 わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

 

3月20日  よきサマリヤ人  ルカ 10:30〜37 

 ここで、強盗に襲われ、着物をはぎ取られ、殴りつけられ、半殺しにされて、身動きのとれない人とは、私たち自身の姿であります。
 自分はそんなに弱く惨めで半殺しになどなっていない、又救ってもらわなければならない者でもないと思われるかもしれません。しかし、全ての人は罪の中にあって、自分自身の努力や行いでは、決してはい上がることは出来ないのです。「義人はいない。一人もいない。・・・」 ローマ 3:10
 今から約2000年前、この地上に来られて十字架に架けられたイエス様によってこそ救われるのです。

 

3月13日  神が人となられた  マタイ 27:1〜  深井師

 今から約2000年前、神様が人となられこの世に来られました。なぜ、人となられたのでしょうか。それは人とならなければ人間には神様を理解することが出来ないからです。
 人となられた神様(イエス様)は人間を愛し、その愛の故に私たちの罪をその身に背負われ、十字架の裁きを受けられました。イエス様は人類史上最悪の極刑に処せられ、私たちに対する神の救いが完成しました。
 救いとは、私たちが死後受けなければならない永遠の裁きから救われるということです。あなたもイエス様をご自身の救い主と信じましょう。

 

3月6日  宿命について  創世記 45:1〜15 

今、私をここに遣わしたのはあなたがたではなく、実に神なのです。8節
あなたは、自分にとっての宿命があるとしたら、どのように考えますか。
 @宿命だからあきらめる。
 A宿命にとことん逆らって生きる。
 B宿命を受け入れ、それを神様の計画と考え、感謝して生きる。
 ヨセフは兄弟から捨てられ、拉致され、奴隷となり、牢屋に入れられました。
それでも彼はその苦難を全て受け入れ、いつも神様に感謝して歩みました。
やがて、彼は大臣となり、エジプトを全世界を襲った飢饉から救ったのです。

 


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2月27日  本当の安心を得るために −愚かな金持ちの例えより− ルカ12:13〜  

あなたは何を頼りにして生きていますか。多くの人は目に見える物質を頼りにして生きているのではないでしょうか。
 この金持ちも自分の穀物や財産を頼りとし、それを蓄えることによって安心を得ようと考えました。しかしそんな彼に神様は、「愚か者おまえの魂は今夜おまえから取り去られる。」と言われました。
 目に見える物を頼りにしているとそれはいつか取り去られる時が来ます。私たちが本当の安心を得るために頼るべきものは、永遠に変わることのない目に見えない神様だけなのです。

 

2月20日  決して変わらないもの  ヘブル人への手紙 13:5 

 わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。
 年月が経つにつれて人は年をとり、流行、考え方や価値観が変わっていきます。
 しかし、私達クリスチャンにとって、今も昔もこれからも絶対に変わらない救いがあります。そして、この変化する世の中で私達クリスチャンは、神様に与えられた賜物、行いや言動によって証できるのです。

 

2月13日  人生の勝利者 金持ちとラザロ より ルカ 16:19〜31

世界中の全ての人間は、いつか必ず死にますが、聖書は人間は死んで終わりではなく、死後の世界 → 2つの永遠 → 天国と地獄 が存在することを私たちに教えてくれています。
 死後、天国へ行くか地獄へ行くか、それはあなた自身の決断(神様の救いを信じるか信じないか)にかかっています。
 人生の勝利者とは、この世でいかに成功を収めたかではなく、聖書を通してイエス・キリストを救い主と信じた人のことをいうのです。

 

2月6日  しあわせの基準  創世記39:11〜23 

ヨセフの生き方                       
@周りの状況に動かされず、神様の御心にまかせた → 神は全てのことを働かせて益として下さる
A衝動に動かされることなく、清められた生き方をした → はっきりとした罪の基準
B自分の置かれた所に、忠実に生きた → 最高の奴隷・最高の囚人 
 キーワードは21節 「主はヨセフとともにおられ」
しあわせの基準をこの世の何かに置いていたら、いつかくずれ去ります。しかし神様を基準としているなら、決して変わることなく取り去られることはありません。
 しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです 詩篇73:28

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1月30日  神様が与えてくださった救いの方法  エペソ2:4 

私たちは表面をどうつくろおうと「罪過と罪との中に死んでいた者」です。当然のこととして神様から裁きを受けなければならない者だったのですが、神様は私たちを「作品」として、この世界でたった一人のかけがえのない存在として創造され、愛されてもいるのです。
 あわれな罪人を愛してくださった神様はイエス・キリストを遣わし、永遠の救いをくださいました。ここに行いは必要なく、ただイエス様を救い主と信じて受け入れる決心だけが必要。ただそれだけで与えられる尊い救いを、ぜひ受け取っていただき、感謝しましょう。

 

1月23日  律法の要求は全うされているか  ローマ 8:3.4 

 律法の原則は、「守れば祝福、守れなければ裁き」神様の律法を守ることができない私たちは、裁きを受けなければならない者でした。
 そんな私たちの為にイエス様は十字架上で身代わりに裁きを受けてくださいました。そのことによって私たちに対する律法の要求は全うされているのです。
 神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉によって罪を処罰されたのです。それは肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

 

1月16日  神様のご性質   ヘブル 11: 1〜 

 神様には、次のようなご性質があります。
@愛(Tヨハ4:10) A永遠(詩90:2) B全能(アモ4:13) C偏在(エレ23:23)
その中でも、最も重要な性質は愛です。神様は、私たちのことを結果だけを見て判断される方ではありません。私たちの日々の行動・心に思い浮かんだことに至るまで、全てを愛を持って見守っておられます。
 ですから、私たちにはいつも安心があり、目に見えるものにではなく、目に見えないものに確信を持ち、喜びを持って歩むことが出来るのです。感謝 ! !
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

 

1月9日  価値からの自由  パウロとシラスの働きより 使徒 16:16〜

人間はこの世の価値観や習慣に縛られ生きていますが、皆さんはどのような価値の基準を持っていますか。
 この世の価値観や習慣は時代と共に変化しますから、真理とは言えません。多くの人々は、この世の価値観に支配され、本当の自由を見失っています。
 パウロとシラスは当時の習慣とは全く違った価値観(福音)を人々に伝えました。その結果、彼らは捕らえられ牢屋に入れられましたが、神様は彼らを助け、さらに多くの人々を救いへと導きました。神様の福音は、時代が変わっても決して変化することのない真理です。ここに真の価値観があります。
 私たちが人々に伝えるべきことは ただ一つ 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたは救われます。」 それだけなのです。

 

1月2日  神様が共におられる  エジプトのヨセフを通して 創世記 39:1〜 

私たちはこの世で、誘惑と無関係な生活はできません。
 私たちに襲いかかる誘惑の特徴 
 @順調なときにやってくる A長所をついてくる B身近な所からやってくる
 (誘惑に負けない)勝利の秘訣
 @神様の愛と信頼を裏切ることはできないという強い思いを持つ(8節)
 Aはっきりとした罪の基準を持つ(9節)→箴言8:13
 B自分自信のことをよく知る→誘惑を受ける状況を避ける(12節)
 神様は、罪から離れる(誘惑を避ける)者と共におられ、助けてくださいます。
 誘惑の特徴をよく理解し、誘惑に負けない勝利の秘訣を実行しましょう。

 

 

 

 
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